2018.9.28── いつの日か必ず生まれる、わたしの娘への手紙
2026.09.28
初出:i-D Japan The Female Gaze Issue No.6 [2018.9.28]
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昨晩、お父さんから、君が映画を撮りたいって聞いて、すごいびっくりしたんだよ。でも、とうとうこのときがきたのだな、とも思った。わたしはこの瞬間を、ずっと待っていたのかもしれない。
君はきっと、お母さんには言いづらく感じていたのかな。だってさ、自分の母親と同じ職業を選ぶだなんて、なかなか生きづらい道を、君も選んだものだよね。頭の良い君は、もはやそれを予感していて、だからこそ、わたしには話さなかったのでしょう。そして、だからこそ、君に声をかけてもいいものか、すごく悩んだ。
それでも、初めて手紙を書いてみることにするよ。これが、わたしが君へと捧げる、生まれて初めての手紙になるんだね。
この手紙の存在を滑稽だと、君は笑うだろうか。でも、本気で書いても、良い? 笑いごとになるのなら、それはそれで、至福のことかもしれないのだから。この手紙を、君が切実に必要としたときに、読み返してもらえたらと、まるで君が生まれる前からそう願っていたかのように、わたしは想像しています。
今まで君は、どんな映画に、悲しんだことがありますか。このたった今、映画館でかかっている映画を、「許す」ことができますか。これは、とても勝手な決めつけに過ぎないのかもしれないけれど、きっと君は今、全然、許せていないのではないか。ねえ、そっちではどう?
それならば、君こそが、革命者になるのだと、思ってみてはくれないだろうか。その不思議な義憤を、どうか、大切にしてほしい。映画は、その成り立ちからしての革命なのだから。ただし、それは誰かを傷つける刃を研ぎ澄ますためのエクスキューズではない。表面的な対立から距離を置き、また論理的な皮を被っただけの感情に流されることなく、つまり、生きるための義憤をこそ、大切にしてほしい。義憤とは、個から個へとのみ、手渡される。
すべからく革命の裏側では、傷を癒す救済が並行されていなければならない。ああまるで、戦場のナイチンゲールのように、戦場のジャンヌ・ダルクのように、映画を撮ってはくれないか。
「私自身が、私自身であるままで、どこまでいけるのだろうか」という感覚を、決して、忘れてはいけないよ。ナイチンゲールも、ジャンヌ・ダルクも、間違いな自分自身、そのままだったのだ。彼女たちは、戦場の「空気」に、合わせることをしなかった。
君が、君自身であること。それ自体が何よりも、過激な革命を巻き起こす。まやかしの挑発に惑わされず、真の革命を試みよう。君が、映画館の暗闇に隠れてしまった、無数の悲しみに気づくことができるなら、君は映画を撮ることも、必ずできるのさ。映画館に逃げ込んだ少女の未来に、光を灯すことが、必ずできる。
東京育ちの君に、田舎の女の子の気持ちがわかる? 自転車で行けるショッピングモールが、最大の成果であり、そのいちばん奥に、シネコンがあった。わたしは、あのときの気持ちを忘れたことが一度もない。だから、映画を撮ったのだと。なんということだろう、田舎にいる、少女なら、誰でもよかったのかもしれない。いや、「田舎にいる少女でなければならなかった」のかもしれない。それがわたしに、ある種の倫理の感覚をもたらしたのだから。
君は、これまでの人生で、存分に傷ついてきた。そして、そこにこそ、君は倫理の萌芽を見つけるだろう。そこから、目を逸らしてはいけないよ。
自分がいる枠組みのなかを疑おう。フレームのなかから飛び出そう。絶対的に、倫理的であろう。倫理的じゃない映画は、つまらない。 差別的な世界が、全然面白くはないように。
そんな感じで映画を撮ってゆくと、面白いことになると思うんだけどね、君の映画。
と、ここで、残念なお話がある。それをこんなにも早く伝えるべきかは、迷うところだけれど。君はね、必ず批判を受けるだろう。しかもそれは、苛烈なまでに。でもね、わたしが本当に伝えておきたいのは、こっちの結論なんだよ。君は、批判的な言葉に、たった1秒すらも、耳を貸さなくても良いということをね。
さっき君に伝えたことと、相反して感じられるだろうか? いまや倫理に重きを置く君は、他者の声に気配らぬ自分は独善的なのではないか、と苦しむのかもしれない。矛盾しているようにすら見えるこのメッセージを、あるいは矛盾したままでさえ、受け取ってはもらえないだろうか。
このダブルバインドをもって、祈るよ。
揺らぎながらでいい、毅然と映画を撮り続けてほしい。その誇りも、悲しみも義憤も、君だけのものとしながら。みんなと一緒に沈黙する人間として過ごすか、強い批判のなかで輝く人間へと変わるのか──君は選択を迫られる。これは、必ずと言うべきだろう。より多く、より深く、より強く、映画を撮れば、撮るほどに。
後に生まれた賢い君は、わたしの背中を見て、さてもっと、要領よくやれるだろうか。それなら、そちらのほうが、どれほど、素敵な事象だろうか。傷つかずに生きられるなら、この肌のでこぼこは、ずっと、綺麗な人生なのだから。
しかし、映画を撮りたい女の子は、みな不器用で、感受性があまりにもやわい。しかして、もしも、君が憎しみの最中にあるときにも、たったひとつの愛の方法を試みることを、どうか、忘れないでほしい。憎しみの引力に、君が幾夜、足を取られてしまったとしても。そしてだからこそ、愛が問われる。しかるべき朝に、差し伸べられる掌の上。君が、愛のために闘う映画を撮れるように、わたしは、映画に愛を注ぐ。
かつて、お母さんが若者だった頃にはさ、映画館でかかっている映画のうち、女性がディレクションを手がけた映画は、10本に1本あるかないかって感じだった。っていうか、あればいいほうで(平成最後の夏の今、うちのいちばん近所の映画館では、1本もない)。映画をとりまく、環境が、やるせなくってさ。まだ革命の途中なのだと、いや、これから途方もない夜更けを進んでゆくのだと、昨夜も、今朝も、実感しているよ。痛ましいほど。
インディペンデント映画の選定者は言った、「あなたの紛議もわかるけれどもさ、女の子はすぐに、映画を撮るのを辞めてしまうんだもの。続かないのよ。作り続けるということに向いていないの」。
人間は、あまりに悔しいと何も言えなくなるのだ。
豊かな作家たちの指標──小説家、漫画家、詩人、エッセイスト──創作を続けている女性たちがたくさんいる、止まずに、辞めずに、諦めずに。女性の手がけた作品が、数多く、愛されている。それなのに、映画界にだけ、なぜそこに、生き続けてはいられないのだろうか。
彼女たちの息の根を止めるなんらかの障壁が、確かに存在している、とは考えられないだろうか。わたしたちは、わたしたちのフレームを疑うべきではないだろうか。その枠組みに、その障壁に触れるたび、わたしは、乗り越えたいと願ってきたんだ。願わくば、君に伝えられる方法で。
おかしいだろうか? いつも、いつか自分に娘が生まれたとき、恥ずかしくない方法で、この壁を壊したいと思っていた。たくさんの、ずるい路(みち)は見えたよ。でも、わたしは、やがて君にめぐり会うことだけを支えにしてきたの。絶対に諦めたくなくて。君の幻に、何度も出会う。
壁を壊すこと。わたしは、いつか君に出会えたら、真っ先に共鳴してほしいって願っていた。活動とかじゃなくても良いからさ、だって見えない壁を壊す活動は、その活動もまた、見えないかもしれなくて、壁が阻むその真実こそをさ、壁が崩れて初めて、それがあったのだと気づかされる、真実、女の子にも映画が撮れるってことを、そんな当然のことをさ、けれども、こんな日に、君と一緒に証明したいと願っていたんだよ。
映画を撮るべきは、むしろ女の子にしか過ぎず、女の子が目指すべきたったひとつの職業もまた、映画監督なのであるって、わたしは、ずっと本気で信じてた。ああ、だから、それが君に伝わってしまったのかもしれないね。君が、お腹のなかにいるときには、もはや、手遅れだったのかもしれない。巻き込んで、ごめんね。
君に、この声が聞こえるだろうか。女性のために生きようと決めた日から生まれる、もう一対の自己が、残念ながらあるだろう。どうしても、別れてしまう。どんなことを言ってるか、わからない?
じゃあ、はっきりと君に伝えることになる、女の子を、憎んだことがありますか?
……(わたしの目が君を見つめる──)
ああ、そんなに悲しい顔をしないで。
……(わたしは目をつむる──)
わからないとは言えないはずさ、わたしたちには。わたしたちは、わからないとは、言わせないはずだ。
君は、確かに、女の子を憎んだことがあるんだね。しかもそれは、彼女が女性であることに起因して、君は彼女を憎んだのだ。今にも路頭に迷ってしまうね、どうすれば良いのだろうかと。愛せるはずなどないと。愛したいのにと。自分のなかにある憎しみを、ひいては自分自身を、あまりにも許しがたく思ってしまって。自然に湧き出る愛よりも、追われてやまない憎しみに、息も絶え絶えになってしまう。
そんなときのために、この手紙があるんだね。ここには、たったひとつだけの答えを準備し、綴っておきます。
そんなときにはね、「愛す」しか選択肢の残されていない状況を、その環境を、そのシステムを、自分自身の手で立ち上がらせ、創造することだよ。
そんなバカなと思いますか? でも、神様には、確かにそれができた。こんなにも絶対的に。《人間は神の似姿である》とはよく言ったもので、ねえ神様は、人間を愛しているから作ったのではないのかもしれないよ。思わず作っちゃったからには、ああしょうがない、愛すほかないなって、もはや残るひとつの選択肢は、猛烈に愛すのみだったんだよ。
いつの日か、愛せるようになってから、いつかようやく愛すのではない。気づけば愛すると決め込み、そして決めたからには、今すぐに愛すのだ。最初に、愛すほかないシステムを構築してしまうんだ。スタイルから、変えるんだよ。ただ力の許す限り、ひたすらに愛す。こんなにも絶対的に。
ねえねえ、どんなことを言ってるか、わからない? じゃあ、はっきりと君に伝えることになる、他の女の子に嫉妬しちゃう、普通の女の子になんてなっちゃダメだ! 他の女の子を愛し尽くせるような、特別な女の子になってね! 別にそれで損したって、いいじゃん。わたしは、君を見てるからね。人のために生きたいと願う、君を見てるから。君のスタイルへの姿勢を、正してほしい。
するとここで、頭の良い君なら、気づいたね。これは、映画という芸術への創作姿勢とも重なってやまない。撮れるようになったら撮る、そんな路はない。さあ、走りだそう。そう決めた瞬間から、果敢に、撮るんだよ。君のまなざしがあれば、それ以外はいらない。君にそっくりの人は、この世界にはいない。君がずっと探していた、魂の双子は永遠に現れぬ。その絶望が、はたと希望へと変貌する。
女の子を愛すことは、映画を撮ることは、君に、急激な成熟を求めるだろう。どうしても、立ち上がれなくなることがあるだろう。もうこれでいい、終いにしよう、と思うことがあるだろう。そんなとき、もうこれでいい、終いにしよう、によって見捨てられてしまう、少女の命があることを忘れるな。
男の人には、理解されないかもしれない。女の子同士は、忘れてしまうのかもしれない。君には、いちばん険しい道が待っている。でもそれって、冒険映画みたいに思わない? 御しがたい苦悩が描かれたシーンは、最高の映画の証明だ。
この世界を切り取る瞬きがカメラになり、君のまなざしだけが、それを追うことができる。君の人生が、最高の映画になるんだよ。君の闘いは、エンドマークまで続くんだ。
そして、この闘いが、記録されぬことを恐れてはいけないよ。権威から遠く離れて、ただ未来からのまなざしを待つこと。そんな日に暮れた空の、運命的なロマンチックを忘れないでおこう。 ともすれば生きるということは辛く、今にも簡単に路を踏み外そうとする君の弱さが、わかります。狂おしいほどに。
それでも、映画を撮ることによって、生き延びていてほしい。複製芸術を待ち侘びる、時空を超えたまなざしによって、何度でも、君の心を持ち直してはくれないかな。愛の最中に立つ夢を諦めないで、夢の映画を撮りはじめよう。
君は、わたしの後継者では、絶対にないのだから。君に向かって映画を撮り続けるわたし自身が、君にこの手紙が届くことを信じて、生きてゆく。
昨晩、お父さんから、君が映画を撮りたいって聞いて、すごいびっくりしたんだよ。でも、とうとうこのときがきたのだな、とも思った。わたしはこの瞬間を、ずっと待っていたんだよ。
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edit : Sogo Hiraiwa
text by Ū-ki Yamato










